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12月19日、このブログに以前書きましたが、三尾川小学校の子ども達にブルーベリーの挿し木指導をしてくれた、三尾川地区の坂本さん宅におじゃましてきました。
坂本さんは、ご主人自ら収穫したブルーベリーでジャムを作っていらっしゃいます。
図らずも!お昼時におじゃましてしまい、かつてお店だった場所という土間に上がらせていただいてお昼ご飯をごちそうになりました。学校の机が給食みたいでとても素敵。

給食の献立はこちら。紀南でめはりずしに使われる高菜のまぜご飯とたくあんとすまし汁。右下がデザートでありメインディッシュのブルーベリーヨーグルトです。このジャム非常においしくて、ジャムとして使う前につい食べ切ってしまう人が多いという代物。添加物と水は一切使わずに作るそうです。商品化されたらぜひお試しください。

こちらは、漬け物をおいしくするためのリンゴとミカンの皮です。この店先の細い道は旧の街道だそうで、奥様が子どもの頃はひっきりなしに人の往来があったとか。ここから往年を偲びながら、いつかブルーベリー給食が食べたいと思いました。
I.M
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ゴーラオーナーのゴーラから獲れたハチミツの搾りかす(ハチの巣)を集めて、鍋で煮て溶かして不織布で漉して蜜蝋(ミツロウ)を作ってみました。去年ハチミツ名人と一緒に作った要領を思い出しながら、サラシで漉すときれいになると聞いたのでそれも取り入れつつ作りました。

ゴーラ半個分のハチの巣は、小さなビニール袋だと入りきらないぐらいの量ですが、それから採れる蜜蝋はほんのわずか。自分で精製してみて初めてその貴重さが身にしみて分かりました。
ハチの話題で1つ、先日役場に問合せがあったので、参考まで掲載しておきます。
問合せの内容は、ゴーラで採ったハチミツを瓶に入れておくと、白い泡が上の方にたまってきて取っても取ってもきりがないがどうすればいいかというもの。
ハチミツ名人や役場内の詳しい人に聞いてみたところ、これは発酵によるもので、熟成のあまい1年蜜で起きやすく、水を含んでいるような水っぽい見た目なので見る人が見るとすぐ分かるそうです。また、蜜切りの時にサナギの部分などを一緒に切り込んでしまった場合などにも起きることがあるとのこと。
自分でゴーラを持っている人は、そういうハチミツは冬場のハチの餌用に回すそうですが、もったいなければ約60℃の温度を保ってゆっくり加熱することで発酵を止めることもできるそうです。
放っておいたら気圧で瓶のふたが飛んで大惨事になったという経験談も聞きましたのでお気を付けください。でも、発酵したハチミツを好んで食べる人もいるそうです。毒素が発生していなければそれもいいのかも?
I.M

12月8日、添野川地区の公会堂(正式名称:添野川青年会館)で、みくまの農協と県林務課主催の特用林産研修会が開催されました。添野川地区は、当町の推奨作物になっている「しきみ」の生産が盛んで、さばけた女性陣の結束力が地域全体をまとめ上げていて、商売熱心で柔軟な土地柄を感じる地区です。
研修会は、しきみの合間にできるオススメ特用林産物の紹介が主な内容でした。ポイントは「極力手間をかけずにかつ稼げる作物」であること。生育させやすいか、虫が付きにくいか、獣害に強いか、消毒の要不要から、輸送・運搬時のコストや管理の難易度、割りの良い販路の有無etc.、生産者から消費者に届くまでのルート全体を見通して品目を吟味することが重要という話でした。
「植えてもモノになる前に死んでくよ」と誰かが言い、にぎやかな笑い声が上がる中、みんなが興味津々に話を聞いている会場の空気がとても楽しく、清々しかったです。
I.M
郷土料理の資料を掘り起こしていたら見つけたので、少し色をつけてみました。
タイトルには「特産品づくりマップと“ふるさとの味”技術交換会グループ別出品名」とありました。古座川町生活改善友の会の活動で、おそらく昭和60年頃に郷土料理の技術交換会をしたときの成果物のもよう。

画像をクリックすると少し拡大して見ることができます。
「いびつ」は柏餅のサルトリイバラで包むバージョン、「ごんぱち」はイタドリで、古座川の貴重なごちそう。
I.M

11月19日、秋まつり品評会に出してもらうゆずを受け取りに、平井地区にある柚子集荷場に行ってきました。

平井地区は、古座川町の西北端にあり、古座川本流の源流部に位置する山間集落で、現在約80戸、150名が暮らしています。この地区は、明治期から始まった用材生産で町内でもとりわけ栄えた地域ですが、昭和40年頃を境に全国的な林業不振の波を受けて、過疎化・高齢化が進みました。
そのような流れの中で、昭和30年代の終わりに、昔から集落内で自家用に栽培していたゆずに着目し、生産に着手する農家が出てきました。これが、「古座川ゆず」の発祥とされています。
その後、昭和51年には「古座川柚子生産組合」、昭和60年には加工部門を担う「古座川ゆず平井婦人部」が結成され、平成16年からは、これらを包括するかたちで「農事組合法人古座川ゆず平井の里」が結成されました。この間の経緯については
こちらの資料が詳しいです。

平井地区では、例年10月の終わり頃にゆずの初搾りをして、11月の末には収穫・搾汁を終えます。この日行ったときは主な収穫はあらかた終わり、連日工場に詰めていた搾汁班は道から遠いところにあるゆず畑へ収穫の手伝いに出かけたとのこと。

その間も、集荷場には休みなくコンテナが集まってきます。

やっぱりここにもゆずの残渣を載せた後のトラック。ここにだけあるもの。
I.M
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